中東

イランの秘密警察SAVAK(サヴァク)による弾圧の歴史とその実態(イラン革命前)

イラン パフラヴィー朝の秘密警察SAVAK

イランのパフラヴィー朝(1925年~1979年)は、特にモハンマド・レザー・シャーの時代に強力な治安機関を使って反体制派を弾圧しました。その象徴が秘密警察であるSAVAK(サヴァク)です。この記事では、SAVAKの設立背景からその弾圧活動、具体的な事件、さらにはイラン社会に与えた影響について詳しく掘り下げて解説します。

SAVAKとは何か?

SAVAKは、正式名称を『国家情報治安機構(Sāzemān-e Ettelā’āt va Amniyat-e Keshvar)』といい、1957年にモハンマド・レザー・シャーがアメリカのCIAやイスラエルのモサドの支援を得て設立しました。

その主な目的は、

  • 共産主義勢力やイスラム主義者などの反政府勢力を監視・抑圧
  • シャー政権の維持と国内治安の確保
  • 外国のスパイ活動を防止

などでした。

SAVAKによる具体的な弾圧活動

SAVAKの活動は幅広く、その多くが残虐で非人道的なものでした。

政治的監視と情報収集

SAVAKは、国内で政府批判を行うジャーナリスト、知識人、政治活動家を常時監視しました。彼らの活動や私生活までを尾行や盗聴、密告を通じて収集し、ブラックリストを作成して管理しました。

逮捕・拷問

反政府的とみなした人物を秘密裏に逮捕し、裁判なしで拘束。拘置所では拷問が日常的に行われました。具体的には電気ショック、鞭打ち、睡眠妨害、精神的虐待が多用されました。

言論・表現の自由の抑圧

反政府的な書籍や新聞の発行を禁止し、作家やジャーナリストを投獄または国外追放しました。教育機関やメディアに監視員を送り、言論統制を徹底しました。

国外での活動

国外に亡命した反体制派に対しても暗殺や襲撃を行い、特に西ヨーロッパでは数多くのイラン人亡命者が暗殺されました。

SAVAKが関与した有名な事件

SAVAKは数々の衝撃的な事件に関与し、国内外にその悪名を轟かせました。

ゴラムレザー・タフティ暗殺事件(1968年)

イランの国民的英雄であるレスリング選手タフティは、民主運動を支持したためホテルで謎の死を遂げました。SAVAKによる暗殺と広く信じられ、国民の政権への不信を深めました。(Gholamreza Takhti)

ホスロー・ゴレスルヒ処刑事件(1974年)

詩人でジャーナリストのゴレスルヒは共産主義者として逮捕され、テレビ放送された裁判でシャー政権を批判しました。その後、公開処刑され政権の残虐性を国民に印象付けました。(Khosrow Golsorkhi)

アリ・シャリアティ死亡事件(1977年)

思想家シャリアティはイギリス亡命中に不審死を遂げました。SAVAKによる謀殺とされ、反政府感情をさらに高めました。(Ali Shariati)

テヘラン大学学生虐殺事件(1978年)

テヘラン大学での反政府デモに対してSAVAK主導の治安部隊が発砲し、多数の死傷者を出しました。この事件は後の革命の引き金となりました。

SAVAKがイラン社会に与えた影響

SAVAKによる激しい弾圧は、社会全体に深刻な恐怖心を植え付けました。政権への不満と恐怖から国民は沈黙を余儀なくされ、多くの知識人が国外に亡命しました。この弾圧体制への反発が蓄積され、1979年のイラン革命を生み出す重要な要素となりました。

SAVAKの終焉とその後

1979年の革命によってシャー政権が崩壊すると、SAVAKも即座に解体されました。新体制では革命防衛隊や情報省が新たな治安機関として機能するようになりました。

おわりに

SAVAKの歴史はイランの現代史における暗黒面を象徴しています。その過酷な弾圧と人権侵害の記憶は、現在もイラン社会に深く刻み込まれています。SAVAKの存在は、イラン革命の遠因であり、今日のイラン社会と政治を理解する上で欠かせないテーマです。

 

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